2013年01月28日
昨日見たテレビ
昨日1月27日普段見ることがなかったチャンネルでテレビを見た。
BS-TBS
筑紫哲也 明日への伝言~「残日録」をたどる旅
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT1300500
沖縄時代、一緒にラジオ(彼はメインパーソナリティ、私はラジオカーレポーター)やってた
岩井くんがナレーションを勤めるということで、彼のFBにUPされていたのが、きっかけだった。
こういうとき、FBっていいよねって思う。
さて、番組では4年前に亡くなった筑紫哲也さんをしのんで、とくに病床で書かれたノート
「残日録」(ざんじつろく)から、またたくさんのゲストトークで綴られていた。
私が沖縄に住み始めたのは1988年
番組で見たが筑紫哲也のニュース23が始まったのは1989年だそうだ。
沖縄で最初の放送がOAされていたかは定かではないけど
とにかく当時住んでいたアパートのテレビで、よく見た番組だった。
当時は沖縄では2チャンネルしかなかったっていうのもあるけど琉球放送率は高かったなあ。
それはさておき
先の番組では、朝日新聞社記者だった筑紫さんが勤続9年目で沖縄特派員として
復帰前の1968年に沖縄に住んでいたことが紹介され、それが彼のジャーナリストとしての
運命、道筋を決めたということだった。
彼は10年で新聞記者を辞めようと、思っていたらしいが赴任以後「沖縄」を伝えなくては
という思いになられたんだとおもう。
沖縄が彼を変えた
ってことになんだかひどく共感して、無性に涙がでて止まらんかった。
話が変わるが
2002年、私はヨーロッパへ一人旅6ヶ月するのだが
その時の最初の英語学校にアイルランドを選んだのも
2001年あたりに「ニュース23」で「沖縄とアイルランド」をある観点で共通性があるところとして
とりあげていたことも、きっかけであった。
そういう意味では、私も彼と沖縄に影響された人間です。
愛媛に戻ってからは、仕事上その時間帯のニュース自体みることがなかったが
筑紫さんは18年半キャスターとして務め、最後まで伝えようとしたんだった。
番組最後の多事争論より 2008年3月28日
http://www.tbs.co.jp/news23/old/onair/taji/s080328.html
(略)
そんなことより、むしろ変わらないのは、長い間みなさんの支持によって作られたこの番組のあり様であります。それを私たちは「ニュース23のDNA」と呼んできました。
力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、
それから、とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、そいうことが含まれています。
(略)
WEB上での本当の多事争論より
http://www.taji-so.com/movie/window_index.php?id=prv_chikushi
ずっと前から予感していたのですよね。
この国のガンはよくなりそうもありません。
BS-TBS
筑紫哲也 明日への伝言~「残日録」をたどる旅
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT1300500
沖縄時代、一緒にラジオ(彼はメインパーソナリティ、私はラジオカーレポーター)やってた
岩井くんがナレーションを勤めるということで、彼のFBにUPされていたのが、きっかけだった。
こういうとき、FBっていいよねって思う。
さて、番組では4年前に亡くなった筑紫哲也さんをしのんで、とくに病床で書かれたノート
「残日録」(ざんじつろく)から、またたくさんのゲストトークで綴られていた。
私が沖縄に住み始めたのは1988年
番組で見たが筑紫哲也のニュース23が始まったのは1989年だそうだ。
沖縄で最初の放送がOAされていたかは定かではないけど
とにかく当時住んでいたアパートのテレビで、よく見た番組だった。
当時は沖縄では2チャンネルしかなかったっていうのもあるけど琉球放送率は高かったなあ。
それはさておき
先の番組では、朝日新聞社記者だった筑紫さんが勤続9年目で沖縄特派員として
復帰前の1968年に沖縄に住んでいたことが紹介され、それが彼のジャーナリストとしての
運命、道筋を決めたということだった。
彼は10年で新聞記者を辞めようと、思っていたらしいが赴任以後「沖縄」を伝えなくては
という思いになられたんだとおもう。
沖縄が彼を変えた
ってことになんだかひどく共感して、無性に涙がでて止まらんかった。
話が変わるが
2002年、私はヨーロッパへ一人旅6ヶ月するのだが
その時の最初の英語学校にアイルランドを選んだのも
2001年あたりに「ニュース23」で「沖縄とアイルランド」をある観点で共通性があるところとして
とりあげていたことも、きっかけであった。
そういう意味では、私も彼と沖縄に影響された人間です。
愛媛に戻ってからは、仕事上その時間帯のニュース自体みることがなかったが
筑紫さんは18年半キャスターとして務め、最後まで伝えようとしたんだった。
番組最後の多事争論より 2008年3月28日
http://www.tbs.co.jp/news23/old/onair/taji/s080328.html
(略)
そんなことより、むしろ変わらないのは、長い間みなさんの支持によって作られたこの番組のあり様であります。それを私たちは「ニュース23のDNA」と呼んできました。
力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、
それから、とかく1つの方向に流れやすいこの国の中で、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれども、少数派であることを恐れないこと、多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、そいうことが含まれています。
(略)
WEB上での本当の多事争論より
http://www.taji-so.com/movie/window_index.php?id=prv_chikushi
ずっと前から予感していたのですよね。
この国のガンはよくなりそうもありません。
Posted by ポン川村 at 10:32│Comments(2)
│つぶやき
この記事へのコメント
がんに罹ってることに気がついているのか、気がつかないでいるのか、気がついていないふうをしているのか…病人のありようで治療へのアプローチも変わってくるんだけどね。気がついた一人としてできることを粛々と♪
Posted by mcAI at 2013年02月03日 15:20
>mcAI
コメントありがとう。病人のありよう・・・なるほどね。
病気に立ち向かうのか。あきらめてしまうのか。逆に無茶する人も・・・
それは、生き方そのものかもしれません。
~みんなもう気がついているのに 知らないふりだけ上手で
るり色が灰色に燃える景色は 涙の量だけじゃ消せない~
by UA 「Moor」
コメントありがとう。病人のありよう・・・なるほどね。
病気に立ち向かうのか。あきらめてしまうのか。逆に無茶する人も・・・
それは、生き方そのものかもしれません。
~みんなもう気がついているのに 知らないふりだけ上手で
るり色が灰色に燃える景色は 涙の量だけじゃ消せない~
by UA 「Moor」
Posted by ポン川村 at 2013年02月03日 20:02